ダリッチ

絵所を栗焼く人に尋ねけり 

これは,夏目漱石が明治34年の日記にしるしたダリッチ美術館訪問時の俳句です。
ロンドン中心より約8キロ南西に位置し、Victoria駅より鉄道で11分、駅から徒歩15分位ですが、夏目漱石の同日の日記に書いてあるように「・・・此辺ニ至レバサスガノ英国モ風流閑雅ノ趣ナキニアラズ」と、今も変わらず静かな郊外にあります。
ダリッチ美術館は英国最古の公共美術館で、ナショナル・ギャラリーよりも13年も早い1811年に創立されています。 

ダリッチの大部分は今もダリッチ・カレッジの土地です。
1619年にシェークスピアと同時代の有名な役者、マネージャー、熊いじめ等の娯楽施設で多大な富を成したエドワード・アレインがダリッチの荘園を5千ポンドで買い、貧しい6人の姉妹、6人の兄弟、そして12人の学者の為にThe College of God's Gift(神から授けられた学校)を建設しました。
彼は子供がおりませんでしたので、全ての財産をこの学校に残しました。
今、この学校は、有名私立校として知られており、建物は美しい新ゴシックに、名前もダリッチ・カレッジと変わっていますが、最初はこうやって始まったのです。
現在、美術館はカレッジから独立していますが、今も美術館の回廊から続くチャペルには、寛大なアレインと妻が眠っています。
美術館の周囲はダリッチ・ビレッジと呼ばれ、漱石も賞賛したすばらしい公園があります。パブやしゃれたカフェ、ちいさなお店等の集まる散策にぴったりの場所です。 

美術館が始まったきっかけがとてもユニークなのです。
1790年にポーランド王が、国の美術発展のためにと、ロンドンで活躍している2人組のアートデイラーのノエル・デザンファンとフランシス・ブルジョアーに絵画の買い付けを注文します。彼らはこの注文に5年もかけました。
ところが、ポーランドは隣国に占領され、王は廃位、そして亡命へと追い込まれ、大量の絵が彼等の手に残ってしまいました。
売却もままならず、デザンファンの死後、ブルジョアーに譲渡された絵画は遺言によりダリッチ・カレッジに寄付されました。
遺言には、これらの絵画は一般の人が見れる美術館を建てそこに展示する事、美術館の設計は当時最も斬新なジョン・ソーンがする事、美術館内部には、6人の身寄りのない老女の為の住居を付属させる事、又、同じく内部に創立者としてこの2人組とデザンファンの妻の霊廟も作る事。
この驚くべき指示に設計家のソーンは興奮し、ブルジョアーの死の翌日、早速ダリッチを訪れ、現地で構想を練り始めました。
彼はこれを無料で設計しました。
現在でも美術館のモデルとされ、ロスアンジェルスのゲッテイ・ミュージアムやナショナル・ギャラリーのセーンズベリー館に影響を見ることができます。
特に天窓のつくりが独創的で、直射日光を柔らげ、絵を見やすくしています。
現在6個の老女の為のアパートメントは隣接する旧ダリッチ・カレッジの建物に移転されておりますが、今だに最初の意志どうり慈善施設として活躍しています。
又、3人の霊廟は美術館の中心にあり、ひっそりと死と再生を表現する空間を創出しています。
これは今だに謎なのですが、4つの棺があり、ひとつは空なのです。
ジヨン・ソーンが自分の為に作ったのかも知れません。 

このふたりが、ポーランドの王様から頼まれて絵を買い集め、その絵がこのギャラリーの元となっています。いねむり中がブルジョア、帽子被ってるのがデザンファン。 

このちいさな、おもしろい美術館の後ろに回りますと、霊廟の上に屋根が飛び出ているのが見えます。この屋根を見たスコットというデザイナーはインスピレーションを得て、今はたまにしか見えないですが、イギリス名物の赤い電話ボックスのデザインをしたのです。
ロンドン滞在中に、静かなダリッチに是非足を伸ばして下さい。
大きな公園 Dulwich Park や、森 Dulwich Wood を散歩したり、ビレッジでパブに行ったり。
でもダリッチ美術館をお忘れなく!美術館は月曜日はお休みです。
詳しくはホームページをご覧下さい。

www.dulwichpicturegallery.org.uk